5/5 石巻2

朝7時過ぎくらいに起きて、朝食を食べた。旅館の隣のスナックに入ったらテーブルにおかずが置いてあるから、ご飯と味噌汁をよそって食べる感じだった。スナックってこんな感じなんだ。カラオケボックスと飲食店のミックスみたいな感じ(それがスナックなんだろうけど)。飯は写真より安っぽい普通のビジネスホテルの朝食みたいな感じだったけどうまかった。

 

飯食べた後は、適当に身支度を済ませてすぐ旅館を出た。準備している間上の部屋の目覚ましがずっとなってた

 

まずは、前日に調べてた大川小学校に行こうと思ってマップで検索したら、二俣小学校っていうのがヒットして大川小学校の場所がわからなかった。大川小学校が二俣小学校に吸収されたってことらしいから大川小学校は近くにあるんだろうってことでとりあえず二俣小学校に行った。8キロくらいだったからすぐ着いたんだけどただの小学校だった。そこで大川小をもう一回調べてみたらそこから12キロ先の北上川河口近くにあるってことが分かった。軽く寄ってみるくらいの気持ちだったから遠く感じたけど、ここまで来て行かないのもなぁって思っていくことにした。川沿いの道は見通しが良くて長く感じた。GWに一人で何やってるんだろうって気持ちになったり、やっぱチャリいいなって思ったりした。

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大川の悲劇って言われてる話の現場を実際に目にしたり、パンフレットを読んだりしてみると、当時どういう感じだったのかっていうのが自然と頭に浮かんでキツかった。廊下の掲示板に今月の生活目標っていう掲示板があった。裏山に逃げる道みたいなのもちゃんと見えた。

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パンフレット

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大川小学校

空白の50分とか言われてるけどその状況にいたら俺も判断遅くなるかもなって思った。

あと、助かった先生とか児童は集団行動から外れて自分の判断で行動して助かってるし、自分の判断で裏山に逃げようとしたけど先生に止められてみんなと一緒に避難して犠牲になった子もいるっていうのは、今後こういう状況になった時の逃げ方を考えさせられた。前もバイト中に地震が来て、みんな逃げてなかったから俺もその場にいたけど、すぐに建物の外に逃げたほうが良かったのかなってちょっと思った。それで何にもなかったら変に見られるのかもしれんけどもし何かあった時のことを考えると難しい。自分で判断したほうがいいのはこんなような事前準備がしっかりしてない場合だけかもしれんけど。

児童110人中30人くらいは親が迎えに来て無事助かって、そうじゃない子たちが助からなかったってのがなんとも言えない気持ちになった。小学生の時、雨の日とかに他の人の親がちょくちょく迎えに来てたなっていうのを思い出した

てか裏山の道に階段つくろうって話してたけどそのままになってたり、避難場所を具体的に定めてなかったりしてたらしいけど、こういうことってどこででも起こってそうだよね。大事なものを中途半端なままで放置しないように気をつけたい

 

帰り道は時間がたつのが速く感じた。実際速かったのかもしれん。でも風は行きも帰りも強い向かい風だった。ローソンでバナナを買って食べた後、そういえばもうすぐ昼飯食べる店につくやんって思って後悔した。

 

飯は物産館の二階で海鮮丼を食べた。みんな家族で来てた。3種類のミニ海鮮丼みたいなのを食べたんだけどめっちゃうまかった。生魚を食べるの久しぶりだった

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海鮮丼

そのあと物産館で、たつるにおれんちの施錠チェックを昨日の夜してもらったお礼としてほやの干物を買った。うまいのかわからんけど

 

午後は石ノ森漫画ミュージアムに行った。こういう漫画ってあんまり知らなかったから新鮮だった。サイボーグ009大阪ハムレット見たくなった。トキワ荘ってすごいな。

お土産コーナーに河北新報社の震災のときの写真集みたいなのがあった。亘理、仙台空港石巻とか知ってるところが震災当時どんな感じだったのかが載ったんだけど想像以上にひどかった。

 

外に出ると強めの雨が降ってた。帰りもチャリで帰るつもりだったけどめんどくなったから電車で帰ることにした。その前に、寄るつもりだったまちの本屋にいったんだけど、土日しか営業してなくて入れなかった。

 

まだ2時半くらいだったからなんか寄ってから帰りたいと思って、旧観慶丸商店に寄ってみた。石巻が昔どんなところだったかとかが分かった。あと地域のベンチャーについての冊子も置いてあったからちょっと見てみた。よくわからんけどそういうのも盛んらしい。

 

そのあと、帰る前に近くにあったいろりカフェっていうところに寄った。コーヒーがドトールのよりおいしかった。そこにもベンチャー企業の冊子が置いてあって読んでた。どういう経緯でこういうことをやろうってなったのか気になるなーとか思った

しばらくしたら、カタコトの日本語を話す、自転車に乗る格好をした外国人が入ってきた。英語話したいしチャリのことも聞きたいって思って話しかけたかったんだけど、店員さんがずっといるレジの近くで、しかも俺とその外国人以外のもう一人だけいた客の隣に座るからめっちゃ話しかけにくかった。英語で話しかけて向こうが英語話せないとかなったときの気まずさが気になったから。その外国人か隣の客が店を出れば話しかけるチャンスがあるけどちゃんと話す時間がある今行くべきだよなあとか思ってるうちに外国人がジャンバーを着始めた。俺は店の前じゃなくて少し離れたところに自転車を止めてたから、先に店を出て、ちょうどいいタイミングで店を通って話しかけることにした。

店の入り口から少し離れたところで待機して、その人が出てきたタイミングで店の前を通って話しかけた。なんて話しかけるか考えてなかったけどとりあえずCan you speak English?っていってYesって言われたからどこから来たのとかどこに行くのとか聞いた。そしたら俺と同じように石巻駅から仙台行って、そこから東京に帰るっていうから一緒に電車に乗ろうって言ったらオッケーしてくれた。

石巻駅について、バスを待つところに屋根がついてたからその下で自転車を分解してバッグに入れた。そして電車に乗って仙台につくまで話してた。俺が英語で話しても日本語で返すから、会話はほぼ全部日本語でやった。俺の英語下手だったんかな。いや向こうも英語そんなに得意じゃないのかな。でも英語は普通に話せてたし日本語けっこう詰まってからなぁ、、、とか思ったり

その人はポーランド出身の30〜40歳くらいの人で、10年まえに日本に来て、東京でプログラマーをやってるらしい。最近つくばにも週一で行くことになったから、60キロくらいの通勤をチャリでやろうかって思ってる。我ながら頭おかしいアイデアだなって思ってたけどチャリ好きな地元の友達に話したらいいやんって言われた。ポーランドでの武道(柔道だった気がする)の日本人の先生がいて、震災のことをポーランドに伝えてくれってことで石巻に行ったのがきっかけで、今でも震災からの復興の様子とか見たいし好きになったから頻繁に石巻にいってる。

俺が仙台から東京までチャリで行きたいんだって話したら、チャリは初心者だけどいつかは自分も東京から石巻に行きたいって言ってた。えぐ。

石巻でできた焼きそばやをやってる知り合いがいるんだけど、あるとき連絡先をなくしたのか連絡が取れなくなったのかでその人と連絡が取れなくなった。その時に東京のコミケでYouは何しに日本へ?に取材されて、石巻行くって言ったら取材班もついてきて、その協力もあってその人の連絡先が分かった。その焼きそば屋さんの主人は奥さんを震災で亡くしたんだけど、ずっと店は続けてるっていう人らしい。

その人はアニメも結構見てて、俺の名前をいったら逢坂大河っていうアニメキャラクターがいるって言われた。NCの先生にも言われたことがあったけどそんなにみんな知ってるもんなのか。

その人は写真が趣味で、インスタに日本のいろんな写真をあげてた。フォローした

別れ際に、いい出会いだった。話しかけてくれてありがとうって言われて嬉しかった。

 

そのあと仙台駅のペデストリアンデッキの下でチャリを組み立ててたら、若い兄ちゃんに話しかけられた。「靴磨きをやってる間に僕の夢を聞いてもらって、あなたが払ってもいいと思うだけのお金を頂けませんか?」みたいな主旨のことを言われた。こんなに押しつけがましい言い方じゃなかったけど。怪しかったけどこんなことするやつすごいなって思ったし話を聞いてみたかったからやってもらうことにした。その人は東京か千葉に住んでる22歳新卒1年目。いつかは中学の社会の先生になりたいんだけど、その前に社会人経験を積みたいらしい。ファイナンシャルプランナーもやってるらしい。それで師匠に、進みたい道はほふく前進で進め(苦労しろみたいな意味で)ってことでこういうことをやってるらしい。師匠ってなんやねん。怪しいけど靴はふつうにきれいになったしこんなやつなかなかいないから500円くらいはあげてもいいかなって思ったんだけど、小銭が200円だけだった。ここが今日最大のミスなんだけど、200円だけ渡すのがなんか申し訳なくて1000円札を渡してしまった。俺何やってんだああああ

旅で金銭感覚が少しゆるくなってたのもあるかもしれんけどあげすぎだって

その人ともインスタを交換して別れた。

家に帰ってチャリを見たら、後輪のボルトを手で締めたあと工具で締めるのを忘れてたことに気が付いた。話ながらやってたからだ。あぶな

旅の終わりでいろいろとやらかした。